中学受験が引き金になって「教育虐待」が増えているそうだ。
特に、自分自身が過去に中学受験をして、難関校に合格したという成功体験をもつ父親が、教育熱心になりすぎて、子どもを過度に追い詰めてしまうパターンが多いらしい。
自分の子どもを中学受験させようか迷っている親にとっては、本当に中学受験をさせて良いものかどうか悩んでしまうだろう。
子どもを追い詰めてしまう中学受験は、「悪」なのかな?
それなら高校受験でがんばることにして、中学は色々なタイプの人がいる公立中学校に行かせて、人にもまれることで精神的に成長できた方が良いのかな?
でも勉強は中高一貫校の方が安心な気もするし...。
私が思うに、中学受験はすばらしいシステムだ。
可能なら、高校受験ではなく中学受験をすべきである。
私自身は小中高大学と、すべて公立出身だ。そして2人の息子たちは、中学受験を経て関西では難関と言われる中高一貫校(灘校と清風南海)へ合格し、現在はそれぞれ一人暮らしをして、東大と京大へ通っている。
自分自身は高校受験を経験し、息子たちにおいては中学受験を経験し、いわば両方のメリットとデメリットを知っている私が書くのだから、記事にも信憑性が出るはずだ。
前提条件としては、私は勉強が苦にならないタイプで、地元の公立の中学でも高校でも、常にクラスのトップ2には入っていた。
また、息子たちが公立の小学校に通っていた当時、長男は本好きで勉強を勉強と思わず、興味あることは積極的に楽しく学ぶタイプ、次男は勉強よりも友達と外で遊ぶ方が楽しいタイプであった。
私は教育関係者でもないし、きれいごとを言わないといけない立場でもない。実際に体験して思ったことを書くのみだ。
同じタイプの子どもさんがいる方には、参考になる記事だと思う。
中学受験か高校受験か【中学受験】を選んだ場合のメリットとデメリット
結論から言うと、中学受験にはメリットしかない。可能なら、高校受験ではなく中学受験をすべきである。
私がそう思うに至った理由を、中学受験と高校受験で体験した出来事をふまえて、以下にあげてみよう。
中学受験を選んで中高一貫校へ行った場合のメリット。中学生の社会は【友達>>>家庭】
子どもの頭の良さは古くから、「遺伝+環境」であると言われている。
残念ながら遺伝に関しては、親ができることは何もない。だが、環境に関しては、親が最善と思えるものを選んで与えることができるのだ。
では、子どもにとって最善の環境とは何だろう?
家が金持ちであること?優しい両親がそろっていること?どれも違う。
これを聞いて、子どもがとことん勉強しているなら、バカにするわけが無いじゃない?と思ったあなた。
あなたは、自分自身が中学生だった時のことを忘れている。
中学生ぐらいの年齢の子どもにとって環境とは、家庭ではなく友達社会だ。
例えば、友達からきたラインにすぐに返信しないといけないからという理由で、食事中にもスマホを手放せなかったり、入浴を短時間ですませる子も多い。
それは、子どもにとっての環境が、家庭ではなく友達社会であることの、何よりの証拠だ。
周りにいる大多数の友達の考え方に迎合しないと、「あいつ何か変わってるぞ。」と言われたり、ひどい時は仲間外れにまでされるのだ。
これでは安心して勉強できないどころか、暮らせない。
つまり、子どもにとっての最善の環境とは、子どもがとことん勉強することを、「友達に」バカにされない環境なのである。
中高一貫校は、子どもがとことん勉強することを、バカにされない環境
わざわざ中学受験をして中高一貫校へ通わせる一番のメリットは、この「子どもがとことん勉強することを、バカにされない環境」を手に入れるためだ。
少なくとも我が家ではそうだった。
自分の子どもが勉強が好きかどうかは、一緒に暮らしている親なら大体分かるだろう。(その場合、勉強を勉強とも思っていない節はあるのだが、それはさておき...。)
勉強が好きな子の場合は、上にあげた理由から、文句なしに中学受験をおすすめする。
中高一貫校での毎日は、好きな勉強に6年間とことん没頭できる、すばらしい環境だ。
だが、勉強がさして好きではない子の場合はどうだろう?私の次男の場合に当てはめてみる。
塾の先生は、学校の先生よりも、ひとりひとりの生徒の性格をよく分かってくれていた
次男は協調性があり、友達と遊ぶことが大好きだった。
長男の場合は自分から中学受験をしたがったので中学受験用の塾に入れたのだが、次男の場合は長男の塾への送迎で「どうせ一緒に連れていくのだから入れてしまえ」ということで、半ば強引に入れてしまった。
それが災いしたのか、次男は塾の宿題も適当にしかやらなかったし、自分の答えが間違っていても自己採点で〇を付けるような、姑息でその場しのぎにしかならないこともしていたのだ。(あとで私が細かくチェックして発覚した。)
ある日、塾の保護者懇談で、「このまま塾を続けた方がいいのか、勉強が好きじゃないなら塾も中学受験もやめさせた方がいいのか、迷っている。」という話を、担当の先生にしてみた。
すると担当の先生が、「お母さん、長男君のようなタイプは、放っておいても一人でも勉強をします。でも、次男君のような、人に流されるタイプの子にこそ、塾や中学受験が必要だと思いますよ。」と言ったのだ。
これをきっかけに塾は続けることにしたのだが、当時はまだその意味がよく分かっていなかった。
当時、次男は学校では、「協調性があっていつでも誰とでも仲良くできます」と、褒められることがほとんどだった。だが塾の先生は次男のことを、「人に流されるタイプ」だと言ったので、よく見抜いているなあとは思っていた。
そして塾の先生が言っていたことは、次男が高校2年生の大学受験を意識し始めた辺りから、より一層、なるほどと思い知ることになった。
中高一貫校は、友達に影響されやすい子にも向いている
中学受験をして入った学校で、中高一貫校ライフを思いきり楽しんでいた次男だが、高2になったころから、帰宅が急に夜遅くなりだした。
理由を聞いてみると、図書館の自習室で、東大や京大を目指す生徒たちが残って、放課後一緒に勉強をしているのだという。
私自身が友達と一緒に勉強をすることが一切なかったので、この「友達と一緒に勉強をする」というのが、にわかには信じられなかった。
ちょうどその頃から、志望校を真剣に考えるようになったようで、長男と同じく東大に行きたいと言い出した。(途中で京大に変更)
そして、実際に成績は上がり、京大を狙えるレベルにまで急成長した。
これはもう、同じくハイレベルの大学を狙う友達と、切磋琢磨しながら一緒に勉強をしていることの賜物としか考えられない。
つまり、「中高一貫校でハイレベルの大学を目指す仲間たち」という環境が、次男を急成長させてくれたのだ。
だが、ちょっと視点を変えてみよう。これは公立中学校へ行って高校受験をした場合にも可能なことなのだろうか?
公立中学校は、「勉強すること」を格好わるいと思う人間が多い
では今度は、公立中学校へ行って、高校受験をする場合を考えよう。
前提として、中学受験をするか迷っている親は、ハイレベルな大学に将来子どもを入れたいと思っている場合が比較的多い。
我が家は、最初こそそんな気持ちは無かったが、気が付くと東大や京大に行けたら良いよね、という考えになっていた。というか、子ども達が勝手にそこを目指していた。
なので、中学受験をする最終的な目的を「ハイレベルな大学に合格すること」に置いて、考えてみる。
公立中学校へ行った場合でも、その後の高校受験を経て、ハイレベルの大学を目指せるのだろうか?
もちろん目指すことは出来るし、実際公立中学校、公立高校を経て、東大や京大へ合格している子たちもたくさんいる。
だが、それには当たり前だが、中学3年間のうちに、地域のトップレベルの公立高校か又はそれに匹敵する私立の進学校へ合格するだけの学力をつけておくことが必要になってくる。
あなたが住んでいる地域の公立中学校は、それが可能だろうか。
また、勉強においては公立中学校ではなく進学塾に頼るにしても、必死で勉強をがんばる子どもを受け入れてくれる雰囲気が、その公立中学校にはあるだろうか。
だいたいにおいて、公立中学校は「勉強すること」「良い成績を取ること」を、格好わるいと思う人間が多い。
私が通っていた公立中学校で、私はそう感じていたのだが、大人になってから周りの知人に聞いてまわると、公立中学校に同じような印象を持っている人が多かったので、あながち間違いではないようだ。
子どもにとっての「社会」のほぼ全てである公立中学校がそんな雰囲気ならば、勉強好きな子はおちおち勉強もしていられない。
空気を読める子にいたっては、なんなら、「勉強なんてカッタルイ」という演技までしなくてはいけなかったりする。
私は子ども心にこれがムダだなと感じていたので、長男が中学受験をしたいと言い出した時に、大賛成した。
長男が中学受験をして通った中高一貫校の灘校は、そんな「勉強を勉強とも思わない勉強好き」が多いので、新しい知識を貪欲に学べたのではないかと思う。
前提として、ハイレベルの大学へ入ることを目標に置いた話ではあったが、この知識欲が満たされた先に、ハイレベルな大学があることを忘れてはならない。
これらを総合して考えると、子どもの意志が固く、周りの友達に何を言われようとも、「自分は勉強が好きだからやるんだ」と気にせず頑張れる子は、公立中学校から高校受験をしても、ハイレベルな大学を余裕で目指せることだろう。
ある意味、公立中学校で必要なのは、「鈍感力」かもしれない。
中学受験を選んで中高一貫校へ行った場合のデメリット【ハイレベルによる弊害】
続いて、デメリットを見てみよう。中学受験を選んで、中高一貫校へ行った場合のデメリットには、以下の3点がある。
①偏差値の高い学校へ行ってほしい親による、教育虐待がまれに起こる
②中学受験塾にしろ、中高一貫校にしろ、授業についていけなくなるとしんどい
③授業料以外にもお金が必要になってくる。海外研修へ行くと、一度で何十万とかかる
偏差値の高い学校へ行ってほしい親による、教育虐待がまれに起こる
教育虐待については、本当にまれにしか起こらないとは思うが、起こった時は悲惨な結果になりやすい。
だいたいは、教育熱心な父親によって引き起こされるようだが、当たり前だが、中学受験は、子どもの心に傷をつけてまでするものではない。
これを防ぐ手立ては1つだけ。
親は勉強に関してはノータッチと決めることだ。
「親御さんが子どもさんに勉強を教えるのは、やめてください。」これは、塾で何度も口を酸っぱくして言われたことだ。
なぜなら、昔と今の教え方は微妙にちがってきてるし、違う2種類の解き方を知った子どもは、それだけで迷ってしまう。
さらに、出来る子になってほしいという思いが強い分だけ、出来なかったときに親が感情的になりやすいのだ。
感情的になって良かったことが、今まで一つでもあっただろうか。私はなかった。
中学受験塾にしろ、中高一貫校にしろ、授業についていけなくなるとしんどい
中学受験塾にしろ、中高一貫校にしろ、授業についていけなくなるとしんどい。
この解決策としてよくあるパターンが、塾と個人塾もしくは、塾と家庭教師を併用しているパターンだ。(中高一貫校では高校生から塾を利用する者が多かった。)
塾で分からないところや弱点補強として、個人塾や家庭教師を利用する。
共働きなどであまり子どもに手をかけられない場合、家庭教師の先生についでに塾のプリント整理までやってもらえたらありがたい。
どちらにせよ、塾代に加え、お金がかかってくるのが難点だ。
授業料以外にもお金が必要になってくる。海外研修へ行くと、一度で何十万とかかる
この6年間でどれだけお金を使ったんだと計算すると恐ろしくなるぐらい、お金が必要になってくる。
授業料だけではない。定期代、教科書代、食堂代、部活費など。
その他に必須ではないが、在学中に何度か海外研修の話もあり、子どもが行きたいと言えば行かせてやりたいと思うのが親心だ。
中高6年の間で長男は2回イギリスに行ったし、次男はフィリピン、タイ、ニュージーランドに行った。
行く国によっては、数十万円かかってくるので、大きな出費だ。
「家族全員で海外旅行へ行くことを思えば、安いものだ」と自分に言い聞かせたのを覚えている。
中学受験のデメリットは、お金がかかること。ここをクリアできるかどうかが、一番のポイントかもしれない。
中学受験か高校受験か【高校受験】を選んだ場合のメリットとデメリット
続いて、高校受験することを選び、公立中学校へ進んだ場合のメリットとデメリットを見てみよう。
私自身が公立中学校へ行き高校受験をしたことにより実際に感じたメリットとデメリットだ。
【反抗期と重なる】ことによる不確実性
・必要以上にまわりの空気を読める子になる
・うまくいくと、たくましい子になる
・子どもが主体性をもって受験できる(が、反抗期と重なるとちょっと...)
一番良いのは、子どもが主体性をもって受験できることだろう。
ただ、これに関して言えば、高校受験をするころは、ちょうど反抗期と重なりやすい。
つまり、言葉はわるいが、親が良いと思える道へ子どもを導いてあげるのも難しくなるということだ。
自分で決めて、自分で納得していれば良いんじゃない?と思う人も多いだろう。
だが、この時の子どもの選択は、経験値が足りていない子ども時代の選択にすぎない。
仮に、子どもにもう1つの親が決めた「中学受験をするという人生」があったとする。
高校受験をするAの道、中学受験をするBの道、どちらが良かったか、経験値を積んで大人になった我が子に見せたらどちらを選ぶだろう?
「なぜ中学受験させてくれなかったの?」こう言う可能性はゼロでは無いのだ。
現に私だって、大人になった今、私も中学受験をしたかったと思っている。あの頃は中学受験の存在さえ知らなかったのに。
自分自身が中学受験を経験した親は、だいたいの確率で子どもにも中学受験をさせている。自分が中学受験と中高一貫校を経験して、良かったと思っているからに他ならない。
あれだけ勉強が嫌いだった次男でさえ、中学受験をし、中高一貫校で鍛えられて京大に入れたことを、心から喜んでいるのだ。
まだ経験値の足りていない子どもに、人生の大きな舵を切る選択をさせるのは、ちょっと怖い気がするのは、私だけだろうか。
中学受験か高校受験か【中学受験には、メリットしかない】
上記をふまえて言うと、やはり中学受験にはメリットしかない。可能なら、高校受験ではなく中学受験をすべきである。
高校受験をすすめる人が、よく言う台詞がある。
「将来どうせ、色々な人と関わることになるのだから、中学のうちから雑多な人にもまれておいた方が良い。」
これは果たして本当だろうか。
日本という社会は、高校大学と進むうちに、どこかで偏差値で区切られて、結局は自分と同じレベルの人間が周りに集結するように出来ているし、それが心地いいと思うようになる。
なので、「将来どうせ、色々な人と関わることになるのだから」と言ってる時点で、少々無理やりな感じがする。
むろん、自分と同じ匂いのしない色々な人と関わりたいと思えばそうすることはいつでも可能な訳で、習い事をするなり、スポーツをするなりすればいいのだ。
なので、中学時代から雑多な人にもまれておく必要などはない。
多感な中学時代に、雑多な人にもまれることによって、成長する可能性もあれば、人間性が壊される可能性もあるのだ。
中学時代の私は、人を信じることができなくなっていた。大人になりようやく、「信じられる人間もいるんだな。」と思えるようになったのだが、今もどこか冷めた目で人を見てしまう癖がある。
自分の子には、こんな大人になってほしくない。人を信じられる人間になってほしい。そのために、親ができることは、子どもの周りの環境を整えてあげることだけだ。
子どもにとって最善の環境とは、子どもがとことん勉強することを、バカにされない環境だ。
子どもの才能の原石を、潰されない環境だ。
「その環境が、中学受験をした先の、中高一貫校にはある。」